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闘魂 サバイバル生活者のブログ

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中央銀行と地域通貨

中央銀行と地域通貨


安部芳裕「日本人が知らない恐るべき真実」(晋遊舎)より、地域通貨の成功事例を引用。安部氏は地域通貨を中央通貨を補完する存在だと位置づけている。

ロシアではパンとウォッカと電気・ガス・水道がタダだと確か佐藤優氏が言っているのを読んだ記憶がある。最低限の生活を保障するセーフティーネットを用意するロシア的なやり方も確かに「アリ」であろう。なにしろ、セーフティーネットがなければすぐに国民は寒さと飢えで死んでしまう。それがロシアに備わっている与件だ。それを考えるとロシア的な解決法は、荒削りだが、それはそれで妥当なラインだと思う。

翻って、この国はどうだろう。この国は、もともと分権的な国家で、というのも地域によって、気候や風土がまちまちで、全国一律の制度や仕組みはどこかで齟齬をきたす。北海道では桜は5月に開花するのに、入学式=サクラの中央集権的な教科書はいかにもまずい。

江戸時代、各藩が藩札を発行していた歴史もあるので、各地方の研究家が掘り起こせば、いろんな地域通貨の事例が出てくるんではないだろうか。

話は変わるが、自民党の渡辺氏が政府紙幣の発行を提言していた。国債を発行して財政赤字を積み上げるくらいなら政府紙幣を発行すべきだと思う。国債を発行したら国債=債権だからいつかカネを借りて償還せなアカン。けど、政府紙幣なら返す必要はまったくない。

もしかして、中央銀行って、信用創造で国民を奴隷化してるだけなのかもしれない。中央銀行に俄然興味がわいてきた。

まあ、それは置いておくとしても、分権化と地域通貨はワンセットで考えるべきだろう。東京だけが、繁栄しているのはおかしい。一極集中というのはその一極がボトルネックになったとき、変化に柔軟に対応できないシステムだ。効率はいいけどね。けだし、腐敗や誘惑に弱い。


…ゲゼルの自由貨幣理論を実践し、大成功をおさめたのが、オーストリア・チロル地方のヴェルクルです。世界大恐慌の影響は、このヨーロッパの小さな田舎町にも波及していました。当時、人口わずか4300人のこの街には500人の失業者と1000人の失業予備軍がいました。通貨が貯め込まれ、循環が滞っていることが不景気の最大の問題だと考えた当時の町長ミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、自由貨幣の発行を実践してみることを決意し、1932年7月の町議会でスタンプ通貨の発行を決議しました。

ウンターグッゲンベルガー自身が地域の貯蓄銀行から32000オーストリア・シリングを借り入れ、それをそのまま預金として預け、それを担保として32000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行しました。

この労働証明書は、1シリング、5シリング、10シリングの三種類からなり、裏面には「諸君、貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。今こそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金が、その労働の交換の大部分を妨げ、何万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のために、ヴェルクル町の「労働証明書」はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ」と書いてありました。

そして、町が道路整備などの緊急失業者対策事業を起こし、失業者に職を与え、その労働の対価として「労働証明書」という紙幣を支給しました。

労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印税)を貼らないと使えない仕組みになっていました。つまり、言い換えれば月初めごとにその額面の1%を失っていくのです。ですから手元にずっと持っていてもそれだけ損するため、誰もができるだけ早くこのお金を使おうとしました。この「老化するお金」が消費を促進することになり、経済を活性化させたのです。

当初発行した32000シリングに相当する「労働証明書」は、次第に必要以上に多いことがわかり、町に税金として戻ってきた時に、そのうちの3分の1だけが再発行されることになりました。「労働証明書」が流通していた13.5ヶ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、住民一人あたりでは、1.3シリング相当にすぎません。しかしながら、この「労働証明書」は週平均8回も所有者を変えており、13.5ヶ月の間に平均464回循環し、254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。こうしてヴェルクルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです。

ヴェルクルの成功を目の当たりにして、多くの都市はこの制度を取り入れようとしました。1933年6月までに200以上の年で導入が検討されたのです。しかし、オーストリアの中央銀行によって「国家の通貨システムを乱す」として禁止通達が出され、1933年11月に廃止に追い込まれました。

このようなスタンプ通貨の成功は、大恐慌後の不景気に喘ぐ米国でも非常に関心を持たれました。全国的な通過不足を補うために何千もの地域通貨が、あらゆる小さな村や町で発行されたのです。エール大学の教授アーヴィング・フィッシャーは調査団をヴェルクルに送り、以来、米国の自治体にもこのシステムが次第に導入されていきました。そして、このスタンプ通貨を法案化する動きも出ました…

…ニクソン・ショック(ドルと金との交換停止)がおこなわれた直後の米国で、非常に興味深い実験がおこなわれました。1972~73年、ニューハンプシャー州エクセターでラルフ・ボーソディによって実験された「コンスタンツ」という地域通貨です。このコンスタンツは「財担保通貨」と呼ばれるものでした。実際の商品によって裏打ちされていて、必要であれば、それらの物と引き替えることができる通貨です。誰もが必要とする生活必需品をいくつか選んでバスケット(籠にまとめて物を入れるように、複数の商品、証券を一つにまとめたもの)にし、それで担保した通貨を発行する方式です。その通貨は交換手段として使われると同時に、担保物(実際にはその証券)と引き替えることもできたのでした。

では実際に、それはどのようにおこなわれたのかを見ていきましょう…


2009年1月17日 根賀源三


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